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ゲルマン人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 1世紀のゲルマニア。スエビ人やヴァンダル人など、ゲルマニア系かどうかが怪しまれている民族も含まれている事に留意。ゲルマン人(ゲルマンじん、German)は、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ系を祖先としインド・ヨーロッパ語族 - ゲルマン語派に属する言語を話す諸集団(≠民族)の事を指す。
目次
1 概要 2 定義 2.1 「ゲルマン民族」という幻想 2.2 アーリアン学説 2.3 生物学的要素 3 外見上の特徴 3.1 金髪碧眼 3.2 身長 4 歴史 4.1 年表 5 ゲルマン部族の一覧 5.1 東方ゲルマン 5.2 西方ゲルマン 5.2.1 北海 5.2.2 エルベ川 5.2.3 ヴェーザー川・ライン川 5.3 北方ゲルマン 5.4 南方ゲルマン 5.5 系統不明 6 関連項目 7 脚注 8 参考文献ゲルマン人は古代時代にはローマ帝国を脅かす蛮族として活動し、中世にはローマ人(ラテン人)・キリスト教文化との混合によって中世ヨーロッパ世界を形成した。現代においては、ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルクオランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク等に住む人々、イギリスのアングロ・サクソン人、ベルギーのフランデレン人、フランスのアルザス人、イタリアの南ティロル人がこの集団の系譜を引いているが、何れの勢力も長い歴史の中で複数の部族間の離合集散や異民族との混血を繰り返しており、古代のゲルマン人とは同質ではない(これはほかの民族も同様)。また、フランスはその国名がフランク王国に由来するように、少なくとも支配層の流れはゲルマン系であるが、ラテン、ケルトと完全に混成化しており、ゲルマン人国家と呼ばれることはまずない。
ゲルマン人という用語を広めたのはユリウス・カエサルであると考えられているが、カエサルはこの言葉を「ゲルマニアに居住する非ケルト系の民族」「ガリア北東部に住む系統不明の民族集団」という二つの定義で用いた。後者の定義による集団は今日でもケルトかゲルマンか判然とせず、また前者の定義はゲルマニアにはゲルマン系だけでなく、ケルト系の民族も存在していた事を示している。このような複雑な経緯から、ゲルマニアに住んでいた諸民族の系統については現在も考古学の分野で議論が続けられている。
因みに今日的な狭義としてドイツ人(オーストリア人、ドイツ語圏スイス人をふくめる)の意で用いることも多い。ゲルマン人の一分派であるイングランド人が英語でドイツをGermanyと呼ぶのはこの狭義解釈に基づいているが、前述の通り必ずしも実態に見合っている訳ではない。
(北方人種の中核と言われる)北欧人に多く含まれるI1a遺伝子の分布図。北欧、イギリス、バルト海沿岸部に広がっており、西欧では北部ドイツやフランスの大西洋沿岸部より南にはあまり存在しない事が分かる。元来はローマ帝国によるゲルマニア地方に居住する諸部族に対する他称である。彼ら自身は、同じコーカソイド人種に属し、用いる言葉(ゲルマン語派)や文化面において一定の共通性が存在したものの、同時代のスラヴ人やケルト人と同様ゲルマン人としての同族意識を持つ民族共同体を形成していたわけではない。後述する通りアングロ・サクソン人やゴート人という部族名こそがいわゆる民族名であり)、ゲルマン人というのはそれらゲルマニア地方出身の諸民族を総称する際に用いられた用語に過ぎなかった。しかしナチス時代にドイツ古代の時点で「ゲルマン民族」という統一された民族共同体が存在していたという説が盛んに宣伝されるようになりナチスの人種政策の根幹を成した。詳細はアーリアン学説、ドイツナショナリズムを参照のこと。
元々は言語面の類似性による区分けに過ぎなかったインド・ヨーロッパ語族を、ドイツ人学者のマックス・ミュラーが同属意識を持つ民族共同体であると主張した事に始る。ミュラーは己の考えるその民族に、インド・ヨーロッパ語族の一派でイラン高原とインド亜大陸に侵入し、諸文明を築いたとされる集団の自称「アーリア」(「高貴な者」の意)の名を冠してアーリア人と名付けた。
上述のドイツナショナリズム勃興期の指導者達は自民族の優等性を主張する一環として、インド・ヨーロッパ語族に属する諸民族の中で最も優秀なゲルマン民族こそがアーリア人であり、従ってゲルマン人の正統な末裔たる自分達こそが名乗るにふさわしい民族名であると唱えた。こうした「ゲルマン人=アーリア人」的思想の影響を受けた者はゲルマン人をアーリア人と呼称したが、それを客観的に証明する根拠は乏しく、またアーリアン学説そのものの信憑性を疑われている今日では殆ど死に絶えた概念と言える。
「ゲルマン系」ないし「ゲルマン人」とは民族的な概念であるため、直接的に生物学的な特徴は関連しない。しかしながらナチスドイツの政策などの例があるように人種と民族はしばしば混同され(また実際には人種という概念も幾分か宗教などの文化的偏見を含んでいる)、ゲルマン人の場合は所謂「北方人種の白人」と結び付けられる。しかし「ゲルマニア」と呼ばれた土地のうち、中部・南部ドイツはむしろアルプス人種や東ヨーロッパ人種などの影響が指摘されていて、遺伝子的にも北欧よりイタリアやフランス、スペインなど南欧との親和性が強い。反面、北部ドイツの住人は北欧人と近く、特にバルト海に面する地域は極めて近似しているが、内陸部ではやはり東ヨーロッパとの近隣性は無視できない。
ドイツのアドルフ・ヒトラーはこうしたドイツ居住者の人種的な差を東欧からの移民や、東欧への殖民(東方十字軍)によって形成されたプロイセン帝国によるドイツ統一など、スラブ系諸民族への敵愾心(当然ながらスラブ系と東ヨーロッパ人種などとの因果関係も余り存在しない)と結びつけていた。彼は自著で度々三十年戦争による人口激減によってスラブ系移民が入り込み、それでゲルマン・北方系の血筋が穢れたという主旨の発言をしており、「ドイツ民族の血統を改良する」事を目的に北方人種と思われる他国人を次々とドイツ領内に移住させるという奇妙な政策を行っていた。民族主義の観点からいえばむしろ侮蔑的な行為であるが、人種と民族を同一視していたナチスにとっては正統な理屈であった。
ゲルマン系諸民族の移動時期(紀元前750年から西暦元年まで)。紀元前の殆どの間、ゲルマン系は北欧とバルト海の民に過ぎなかった。ゲルマニア住民もその多くをケルト系やプロト・スラブ系が占めていた。外見上のステレオタイプ的なイメージとしては、長身、金髪、青色の目、白色の肌、角ばった頬、毛深い等が想像されることが多い。いわゆる北方人種という概念はこうしたイメージに合致する人々を指したものだが、必ずしも「ゲルマン系」とされる地域全てが含まれている訳ではない。
古来からの様々なイメージからゲルマニア出身者は金髪を持つ者が多いと言われているが、黒髪や茶髪も多いと言われている(コーカソイドの項を参考)。これは同じく金髪が多いと言われるスラヴ人と同様であり、一種のステレオタイプともいえる。
生物学的にも「ゲルマン人」の本拠と言える北欧やバルト海沿岸部を除けば、それ以外の地域(ゲルマニアも含まれる)は基本的に後から移民した経緯を持つ為、異なった含有率を有している。またそもそも人種と民族は異なる概念の為、ゲルマン系の文化を持つかどうかと外見が関係するとは考えられていない。
白人自体身長が高いグループであるがその中でもゲルマン系諸国の平均身長は高く、特にオランダ人の平均身長は世界一である。
その存在は古くは古代ローマ時代のガリア戦記・ゲルマニアに著されている。ゲルマン人は傭兵や同盟兵としてラテン人の古代ローマと関係を持ったが、ケルト人とは違い一定の距離を保ちローマと同化しなかったとされる。古代末期にローマが衰退するとゲルマン人達は大移動を繰り返し欧州各地に進出、現在のゲルマン系民族の伝播に寄与し、中世ヨーロッパ世界の形成に影響を与えた。
紀元前80年頃 - ゲルマン人という用語が使われ始める。 ギリシアの歴史家ポセイドニオスがガリア地方に侵入した部族について記述したとされる。これは後世の古代ローマの歴史家の引用で伝えられている。 紀元前58年〜紀元前51年 - カエサルのガリア遠征。 「ガリア戦記」の中でゲルマン人について記し、用語として普及する切っ掛けとなる。 9年 - トイトブルクの戦いでローマ帝国がゲルマン人の同盟軍に大敗。 これによりローマ帝国はゲルマニア中央部への進出を断念し、ラテン文化の伝播が押し留められた。 98年 - 古代ローマの歴史家タキトゥス、「ゲルマニア」を著す。 現在に至るまでゲルマン人研究での主要資料とされているが、誤った記述も多いとされる。 2世紀頃 - 最古のルーン文字成立。 375年 - 民族移動時代に伴い、ゲルマニア住民が大移動を開始する。 フン族の攻撃から逃げ延びようとした西ゴート族がドナウ川を超えてローマ帝国領内に侵入。378年、アドリアノープルの戦いでローマ帝国軍は敗退し、ウァレンス帝が戦死する事態に追い込まれる。以後、ゲルマン系諸民族が他の勢力と共に各地の領土を切り取って国家を形成していく。 415年 - 西ゴート族が西ゴート王国を建国。南ガリアとヒスパニア(イベリア半島)を領有する。 451年 - カタラウヌムの戦い。西ローマ帝国と西ゴート王国、アラン王国の同盟軍がアッティラ大王を破り、フン人のガリア征服を断念させる。 5世紀 - グレートブリテン島 (現在のイギリス) にゲルマン部族の一派アングロ・サクソン人、ユート人が侵入。 ローマ帝国の後退と同じ頃にブリテン島に侵入し、在来のブリトン人を破って七王国をうちたてた。この騒乱が後のアーサー王伝説の元になったと言われている。 476年 - 西ローマ帝国、スキーリ族の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされる。オドアケルは西ローマ皇帝を東ローマに返却する変わりにイタリア総督、次いでイタリア王の称号を得た。イタリア王はその後、オドアケルを倒した東ゴート人やランゴバルト人の王に継承された後、フランク人の王位に統合された。 481年 - フランク人の諸勢力を統一したクロヴィス、メロヴィング朝フランク王国を創始。 アリウス派キリスト教からカトリックに改宗して、旧西ローマの住民との融和をはかった。 732年 - トゥール・ポワティエ間の戦い イベリア半島から侵入してきたイスラム勢力をフランク王国が、現在のフランスにあるトゥール・ポワティエ間で撃退。 フランク王国カロリング朝・カール大帝の時代 (在位768年-814年) 8世紀〜9世紀頃? - 叙事詩ベオウルフが成立。 英文学最古の作品の1つ。古代ゲルマニアの風俗を伝える。 843年 - フランク王国が分裂。 分割相続により3つの国に分かれ、その後、西フランク王国と東フランク王国に再編された。前者はフランス王国、後者は神聖ローマ帝国の原型を形作った。 8世紀後半〜11世紀 - ノルマン人、デーン人の活動が活発化。 ヴァイキングとして知られ、恐れられた。東アジアや中東などの民族と混血していたとも言われるが、定かではない。 11世紀後半、フランスに領地を与えられていたノルマン系のノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服してノルマン朝を創始。→ ノルマン・コンクエスト 8世紀〜10世紀 - アイスランド、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの国家が成立。スカンディナヴィア三国、王国を形成。 1130年 - ノルマン系の傭兵団、アラブ人を破って南イタリアを征服しシチリア王国を立てる(オートヴィル朝)。 ? - サガが成立。 アイスランドに伝わる伝承。ノルウェーでも成立。言語により東ゲルマン、北ゲルマン、西ゲルマンの三つに分類される。東ゲルマン語はすでに死滅している。→ ゲルマン語派参照。しかしこうした分類は近年の事であり、昔は全く異なる分類がなされている。
古代から中世への過渡期には多数の蛮族がそれまで未開とされていた地域からローマへと侵入を開始した為、ローマ側の混乱や蛮族側の離合集散の中で一層に分類は乱れた。今日では明確に東方系の民族とされているアラン人がゲルマン人とされていた事がこれを物語っている。
ゴート人 ※東ゴート人も西ゴート人も元々同民族 東ゴート人 西ゴート人 アングロ・サクソン人(イングランド人の祖) アングル人 サクソン人(ザクセン人とも) フリース人(オランダ人の祖) ※現在フリース人は少数民族で今のオランダ人を形作るのはサクソン系の住民である。フランク人の中核となり、一部はザクセン人に吸収された。
ヴァイキングとして各地に進出した。
ノルマン人 東方の民族や人種との混血(モンゴロイド起源説)を主張する仮説がある。 ルーシ族(ルーシ)※実在するかについては議論がある。 ノース人 また、大陸で膨張した後の低地サクソン人(フランク人と近縁なウェーザー・ライン系諸小部族の要素が濃い)も含めるかどうか微妙なところがある。故に、狭義では種族史的な観点からフランク人と、南下したエルベ系諸族(アレマン、バイエルン、イタリアへ向ったランゴバルドなど)を含むが、言語分類の見地からはさらに狭く、高地ドイツ語地域に限定する場合が多い。 スエビ人 ※タキトゥスが存在を主張した集団。上述の通り、今日では適当な分類法ではないと考えられる。 バイエルン人※現在の南ドイツ住民の祖先。母胎であるマルコマンニ人同様、ケルト系との説がある。 ロンバルド人(ランゴバルド人) ※ランゴバルド史では、今日のデンマークの北方、スカンディナヴィア半島から移住して来たと記されている。 アングロサクソン人に近縁として西方ゲルマンに含める場合が多いが、既にスウェーデン方面から来住していたデーン系に圧迫される過程で混血もみられたと考えられる。 フランク人 西方ゲルマンに分類されるが、厳密には民族ではない。 現在の大陸ゲルマン語(ドイツ語・オランダ語)の「フランク」諸方言も基本的にウェーザー・ラインゲルマン系ではあるが、低地方言(オランダ語)には北海ゲルマンの、高地方言(バイエルン州北部など)にはエルベゲルマンの要素が見られる。 イギリス人 ドイツ人 スウェーデン人 オランダ人 ゲルマン法 ゲルマン民族の大移動 バラモン ヴァイキング→ノルマン人 サガ 北欧神話 アーリア人 アーリアン学説 ルーン文字 民族移動時代 ゴート人 ヴァンダル人 ランゴバルド人 インド・ヨーロッパ語族 [ヘルプ] 木村靖二『新版世界各国史 ドイツ史』山川出版社、2001年 NewPP limit report Preprocessor node count: 65/1000000 Post-expand include size: 488/2048000 bytes Template argument size: 6/2048000 bytes Expensive parser function count: 1/500 --> カテゴリ: 先史ヨーロッパ | インド・ヨーロッパ系諸民族 | 中東欧 | 古代ゲルマン | ヨーロッパの民族 表示 本文 ノート 個人用ツール ナビゲーション メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 最近更新したページ おまかせ表示 ウィキペディアに関するお問い合わせ ヘルプ ヘルプ 井戸端 お知らせ バグの報告 検索 ツールボックス リンク元 リンク先の更新状況 特別ページ 他の言語 最終更新 2008年12月25日 (木) 12:24 (日時はオプションで未設定ならばUTC)。ウィキペディアについて 免責事項
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